桜を穢す業突く張り政治家と芸能人
- 瀬川久志
- 2019年12月27日
- 読了時間: 2分
更新日:2020年2月6日
世の中には奇特な方がいらっしゃるもので、2019年の桜を見る会の芸能人他文化人の一覧がHP掲載されているのだ。しかし、名簿が廃棄されているのにどうやって一覧が作られたのだろうか。写真やsnsの投稿、ブログなどを丹念に分析した結果なのだろうか。
分析では、選定された経緯が不透明なこと(明言をしていないが)、必ずしも「貢献した」人でない人が選ばれている、人数が増えて税金の無駄遣いになってはいないか、などが指摘されている。
しかし、この人選のルートに安倍昭恵夫人の意向が絡んでいることは明らかであり、公的行事に、いち「私人」の昭恵夫人が介入していることは触れていない。2019年春と言えば、もりかけ「疑惑」の中で昭恵夫人が隠然・公然と絡んでいることが明々白々となった中で、「まあ、よくも凝りもせずにお友だちを呼んでくるなあ」とあきれる。
お笑い芸人やタレント、歌手などが悪いなどと言っているのではない。彼らは国民のアイドル的存在であり、今日の日本の社会の中で貴重な存在であるから、招待されてしかるべきではある。しかし、桜の下で笑顔満面、御愛想を振りまきながら、写真に納まる光景は、「桜を見る会」とは程遠い、バカ騒ぎとしか映らない。
芸人は権力者と一体化することで、ルンルン気分どころか、自らの権勢を誇示し、競争相手との差別化をはかり、勝者であることを誇示する。ただでさえ、足の引っ張り合いの多い芸能界である。
これによってギャラが増えたり、オファーが増えたりするのかどうか、私は業界関係者でないのでわからないが、もしそうであれば、桜を見る会の趣旨とは程遠い、芸人たちのプロモーションに「税金」が垂れ流して使われていることになる。「私的利益の供与」になってはいないか。
こんなばかばかしいことに税金が使われるのなら、桜の下で茶会よろしく、和歌でも謡ってもらって、こじんまりとやったらどうか。芸人さんは、国民的アイドルだ。私たちの疲れた心を癒してくれる。
しかし、国民的アイドルを大勢集めて、権勢を誇示するなど、逆に言えば政治の貧困を「笑い」とする以上の何物でもない。このような催しは、政治の貧困の象徴であり、安易に政権と与して人気を維持しようとする、自己顕示欲の塊である芸人の悪しき側面が吐露された茶番劇に過ぎない。即刻辞めるべきである。決して日本の伝統の花・桜をけがしてはならない。芸人さんは、政治の無能を糊塗したり、助長したりすべきではない。政治とは一線を画し、芸を磨くべきである。大正デモクラシーの中で育った「演歌」のように。

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